広島高等裁判所松江支部 昭和35年(ネ)5号 判決 1963年12月25日
控訴人(被告) 島根県知事
被控訴人(原告) 伊藤恕介
主文
原判決を取消す。
被控訴人の動力装置許可処分無効確認の請求を棄却する。
被控訴人の右処分取消の訴および右処分の取消処分を求める訴を却下する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述並びに証拠関係は、左のとおり附加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
被控訴代理人は次のとおり述べた。
被控訴人の第二次の予備的請求は、控訴人に対し温泉法第六条の取消処分を命ずる判決を求める趣旨である。
控訴代理人は次のとおり述べた。
一、地下の温泉水は国民全体の利益のために存するものであるから、一般にこれを採取することを禁止されているのであつて、温泉法による許可は、この禁止(不作為義務)を解除する処分にすぎず、許可を受けた者に特別の権利を創設するものではないのであり、採掘の許可を受けた者が、温泉を自己のみ利用し得る地位は、他人が許可なくして温泉を採取し得ないという法規の反射作用たる利益に外ならない。被控訴人はかかる事実上の利益を有するに止まるから、控訴人の内藤淳作に対する本件動力装置許可処分につき、その無効確認ないし取消訴訟を提起する当事者適格を有しない。
二、島根県温泉審議会条例はいわゆる持廻り審議の方法を排斥していないのであつて、控訴人が本件許可処分をするにつき、島根県温泉審議会は持廻り審議の方法により委員一九名中の過半数たる一〇名の意見を徴し、各委員がいづれも許可相当の意見であつたから、その旨答申したのであり、したがつて意見聴取の手続には何ら瑕疵はない。また審議会を開いてもこれと同一の結論になつたことが明らかであるから、右持廻り決議は有効と解すべきである。
三、仮に意見聴取の手続に瑕疵があつたとしても、昭和三〇年一月二九日開かれた温泉審議会において、さきに持廻り決議した動力装置の件が議事に付され、出席委員全員が許可処分に異議がない旨の意思を表明したから、これにより右瑕疵は治癒された。
四、温泉審議会の意見は、単に知事の処分を適正ならしめるため、知事の諮問に対し答申するに止まるから、仮に審議会の答申を欠いても、それは知事の許可処分についての重大な瑕疵には当らず、またその瑕疵は外観上明白でもない。したがつて本件許可処分は無効とはいえない。
五、被控訴人の温泉利用権が権利であるとすれば、本訴は権利の濫用である。というのは、被控訴人の請求は、地下に多量に存在しながら、次々無益に消散しつつある温泉水の開発利用による公益の実現を、自己の温泉に影響があるという一事を以つて、強引に抑圧しようとするに外ならないからである。したがつて本訴請求は許されない。
(証拠省略)
理由
一、被控訴人が島根県邇摩郡温泉津町ロの二〇八の一番地の土地を、内藤淳作が同町ロの七〇番地の土地を、夫々昭和二二年一二月三一日以前に掘さくして、温泉を湧出させ、一般温泉客を入浴させているものであること、控訴人が昭和二九年一二月一七日内藤に対し、湧出量を増加させるために、二馬力の動力を装置することを許可したことは、当事者間に争がない。
二、被控訴人は右動力装置の許可処分の無効確認およびその取消を求めるものであるが、控訴人は被控訴人にその無効確認および取消を求める当事者適格がないと主張するから、まずこの点について考えるに、温泉は地下水の一種であつて、土地所有権(あるいはこれに由来する土地使用権)者は、本来土地所有権に基き、その土地を掘さくして温泉を湧出させ、あるいは湧出路を増掘し、動力を装置して、より多量の温泉を湧出させ、これを利用する権利を有し得べきものであるけれども、これを権利者の自由に任せれば、温泉の湧出量の減少、温度の低下もしくは成分の変化を来たし、遂には温泉の涸渇を生ずるに至り、あるいは権利者相互の間に衝突紛争を惹起して、その適正な利用を阻害するおそれがあるため、温泉法は温泉源を保護し、その利用の適正化を図るという公益的見地から、掘さく、増掘、動力の装置を一般的に禁止し、公益上支障がない場合にその禁止を解除することとしたものであつて、温泉法が動力の装置を知事の許可にかからしめたのは、かような公益的見地に出たものであるけれども、その許可処分が違法であつて、これに基く動力の装置が既設温泉の湧出量の減少、温度の低下あるいは成分の変化を生ぜしめるなど既設温泉井所有者の利益を直接侵害する場合においては、既設温泉井所有者は、右許可処分の取消もしくはその無効確認を訴求し得るものと解するを相当とする。したがつて控訴人の右主張は採用しない。
三、よつて無効確認請求の本案について判断する。
まず温泉審議会の意見聴取の点について検討する。知事が動力装置の許可申請に対し許可または不許可の処分をするに当つては、温泉審議会の意見を聞かなければならないことは、温泉法第二〇条の規定により明らかであるが、控訴人が本件動力装置の許可処分をするに当り、島根県温泉審議会が開かれなかつたことは、当事者間に争がない。
控訴人は、温泉審議会委員一九名中一〇名がいわゆる持廻り決議の方法により意見を表明し、その意見はいずれも許可を相当とするものであつたから、意見聴取の手続に欠けるところはないと主張する。しかし島根県温泉審議会条例によると、審議会は会長が招集し、審議会の委員の過半数が出席しなければ、議事を開き議決することができず、議事は出席委員の過半数で決し、可否同数のときには会長の決するところによることとなつているのであつて、持廻り審議による議事の審理、議決を許す旨の規定を定めていないから、委員が一定場所に集合して開会し、討論議決することにより、合議体たる温泉審議会の意見が決定されるわけであり、委員の過半数がいわゆる持廻り決議の方法によりある事項に賛成の意見を表明したとしても、これによつて、審議会の決議が有効に成立するものではなく、したがつて審議会の意見が決定されるものではないといわなければならない。控訴人は審議会を開いても、持廻り審議の方法によつても、同一の結論になることの明らかなときは、持廻り決議の方法により審議会の意見を決定することができると主張するもののようであるが、独自の見解であつて採用の限りでない。そうすると本件許可処分については温泉審議会の意見聴取を欠くものといわなければならない。
控訴人は、本件許可処分後開かれた審議会において、出席委員全員が本件許可処分を相当とする旨の意見を表明したから、意見聴取についての瑕疵は補正されたと主張する。しかし知事が動力装置についての許可、不許可の処分をするに当り、温泉審議会の意見を聞かなければならないと定めたのは、その処分が温泉についての専門的知識を基礎として決せられるべきものであることに鑑み、その専門的知識を有する者をも委員に加えた審議会の意見を参酌して、適切妥当な処分をなさしめようという目的に出たものであるから、処分後に審議会の意見が表明されても、それによつては、右の目的を達することができないことは明らかである。したがつて本件許可処分後に温泉審議会がその意見を表明したとしても、これにより前記の瑕疵が補正されるものではない。
そこで右瑕疵が無効原因に当るか否かについて考えるに、知事が動力装置につき許可、不許可の処分をするに当り、温泉審議会に諮問してその意見を聞くのは、利害関係人の権利利益を保護するための手段として、そのものの意見を聞くというのとは異なり、前記の如く、その処分の適切を期するために、参考として、温泉についての専門家をも委員に加えた審議会の意見を聞くというに止まるから、その意見を聞かなかつたからといつて、知事の許可処分が当然に無効になるものとは解しがたい。そうすると、温泉審議会の意見を聞かなかつた点に、本件許可処分の無効原因があるとする被控訴人の主張は、理由がない。
四、次に被控訴人は内藤の温泉井に設置される二馬力の動力装置が、被控訴人の温泉の湧出量、温度、成分に著るしい悪影響を与え、公益を害すること甚だしいから、本件許可処分は無効であると主張するので、この点について判断する。
成立に争のない甲第二一号証の三、原審証人内藤淳作の証言、原審における第二回検証の結果によれば、内藤の温泉井(震湯温泉)においては、昭和二九年一二月一八日から二馬力の動力を装置し、休電日を除き、毎日午前五時半頃に動力をかけて揚水を開始し、午後一〇時三〇分頃これを停止していることが認められる。そして成立に争のない甲第二三号証、第四〇号証の一二、第四六号証の一ないし八、第四九号証の一、三、第五三号証、第五六号証の一、二、乙第九号証の二、原審および当審証人瀬野錦蔵、松浦新之助(原審は第二、三回)の各証言、原審鑑定人岸本信英鑑定の結果および当審における検証の結果によれば、被控訴人の温泉井(元湯温泉)と震湯温泉との距離は僅に五〇米位であり、後者において二馬力の動力をかけて揚水をすると、前者の温泉湧出量は漸次減少しその動力を止めると前者の温泉湧出量は漸次回復すること、この事実と両温泉の化学成分の比較、附近の地質構造等からみて、両温泉は泉源を一にしていると推定されること、震湯温泉で二馬力の動力をかけて揚水をしても、元湯温泉の温度(摂氏約五〇度)および成分には変化を来たさないが、その湧出量が減少する結果、温泉井から水路を経て導かれた浴槽内の温泉の温度が低下することが認められる。
そこで震湯温泉の二馬力動力装置の揚水による元湯温泉の湧出量の減少高を検討するに、前顕甲第二三号証、鑑定人岸本信英鑑定の結果によると、温泉の湧出量は降雨、気圧、潮汐、地震等自然現象の影響を受け、一日のうちでも増減を来たし、一年を通じても季節により変動し、また年により同じでないことが認められるから、その減少高を正確に測定することは容易でない。
前顕甲第二三号証、乙第九号証の二、当審証人瀬野錦蔵の証言によると、昭和三〇年三月二五日午前八時一〇分震湯温泉の動力揚水を開始し、午後一一時四五分揚水を停止し、翌二六日もこれを停止せしめて、瀬野錦蔵が元湯温泉の湧出量を観測したところによれば、二五日午前八時に毎分三五リツトルであつた湧出量が、午後一一時には毎分二五、七リツトルにまで減少したが、同人は専門的知識に基き各種の資料を解析した結果、右減少高のうち、毎分約六リツトルが震湯温泉の揚水による影響で、残りは潮汐の影響が加算されたものであるとなしている。
また前顕甲第四九号証の一、三、第五六号証の一、二によれば、被控訴人が毎日午前六時および午後一〇時に元湯温泉の湧出量を測定した結果によると、午前六時における一分間の湧出量およびその湧出量に比し午後一〇時において減少する量は、平均して、昭和三〇年二月から同年末まではそれぞれ三三、五リツトルと六、六リツトル、昭和三一年一月から同年六月まではそれぞれ三〇、八リツトルと八、二リツトル、同年七月から同年末まではそれぞれ三二、三リツトルと六、八リツトル、昭和三二年はそれぞれ三六リツトルと五、九リツトル、昭和三三年はそれぞれ三七、三リツトルと五、三リツトル、昭和三四年一月から同年五月まではそれぞれ三九リツトルと五、一リツトルであることが認められる。(原審証人石田恒稔の証言(第二回)により真正に成立したと認める乙第四一号証、原審証人石田恒稔の証言(第二回)、当審証人松浦新之助の各証言、原審および当審における検証の結果(原審は第二回)に弁論の全趣旨を考え併せると、昭和三〇年六月震湯温泉の動力揚水による元湯温泉湧出量に及ぼす影響を少くする目的で、その揚水操作によつても、震湯温泉の水位が一定水位以下には下らないような施設を設けたが、右施設が実際に効用を発揮したのはこれまで年間二六日程度にすぎないことが窺われる)午前六時は震湯温泉の揚水が開始する直前であり、午後一〇時はこれを停止する直前であるから、おおむね前者は元湯温泉の湧出量に及ぼす動力装置の影響が最も少いとみられる時刻であり、後者はその影響が最も大きいとみられる時刻であり、したがつて前記観測結果による午前六時の湧出量と午後一〇時のそれとの差は震湯温泉の動力装置が元湯温泉に及ぼした影響とみて大過ないであろう。そうだとすると、右観測結果による減少高は前記瀬野錦蔵の推定した減少高(毎分約六リツトル)とほぼ一致するわけであるが、右観測結果について注目されるのは、午前六時の湧出量は次第に増加し、その湧出量と午後一〇時のそれとの差は次第に減少する傾向にあることであつて、成立に争のない乙第三九号証、原審および当審証人瀬野錦蔵の証言に徴し、震湯温泉における動力揚水の元湯温泉湧出量に及ぼす影響が、漸次減少しつつあると考えて誤りないであろう。ただ動力揚水によつて元湯温泉の湧出量の受ける影響が、右観測結果に現われた午前六時の湧出量と午後一〇時のそれとの差に止まると即断するのは危険である。けだし午後一〇時三〇分頃に震湯温泉の揚水を停止しても、翌日午前六時には、なお元湯温泉の湧出量が完全には回復していないのではないかという疑があるからである。そこで震湯温泉に動力を装置する以前の元湯温泉の湧出量を検討するに、その資料は甚だ乏しいのであつて、成立に争のない甲第六四号証の一、三、当審証人松浦新之助の証言によれば、大正四年以前の某日測定したところによると、元湯温泉の湧出量は一日七〇〇ヘクトリツトル(一分間四八、六リツトル)であつたことが窺えるけれども、その資料は古きにすぎるきらいがある。成立に争のない甲第六号証の二、三、乙第二号証によると、島根県吏員が測定したところによれば、昭和二九年一一月一一日正午から午後一時までの間の元湯温泉の湧出量は、毎分四一リツトルであつたことが認められ、鑑定人岸本信英鑑定の結果によれば、昭和三〇年一二月一二日午後一〇時から一五日午前六時まで震湯温泉の揚水を停止して、同鑑定人が元湯温泉の湧出量を観測したところによると、その間元湯温泉の湧出量は漸次上昇し、毎分三二ないし四〇リツトルの範囲を示し、一五日午前六時に至つてもなお上昇の傾向を示していることが認められるのであつて、これらの観測結果から、震湯温泉に動力を装置する以前の元湯温泉の湧出量を平均一分間四一リツトル程度とすると、前顕甲第五六号証の二において松浦新之助が推定するように、震湯温泉の動力装置が及ぼした元湯温泉湧出量の減少高は、一分間九リツトル程度と判断して大過ないであろう。
そこで右湧出量の減少が、被控訴人の温泉利用すなわち浴場経営に及ぼす影響について考察する。成立に争のない甲第二〇号証、第二二号証の三、原審および当審における検証の結果(原審は第一、二回)、原審における被控訴本人尋問の結果によれば、元湯温泉は従来一九石入りおよび一八石入りの大浴槽各一個と七石入りの小浴槽二個を使用していたが、前記の如き湧出量の減少、それに伴う浴槽内の温度の低下のため、これに対処して、右大浴槽二個をそれぞれ一〇石入りの浴槽に改造して、使用していることが認められる。そして原審証人石田恒稔の証言(第二回)およびこれにより真正に成立したと認める乙第二二号証によれば、元湯温泉の入浴者数は昭和二七年度(昭和二七年四月から昭和二八年三月まで)三四、七八九人、昭和二八年度三七、七七八人、昭和二九年度三六、三九四人、昭和三〇年度三〇、七五五人、昭和三一年度三三、七五一人、昭和三二年度三五、二六八人であることが窺われ、その入浴者数は昭和三〇年度には減少したが、昭和三一年度から漸次増加していることが明らかである。
以上の事実によると、震湯温泉における二馬力の動力装置が、元湯温泉にかなりの影響を与えるものであることは否定し得ないところである。しかしながら、当審証人瀬野錦蔵の証言により真正に成立したと認める乙第四六号証、原審および当審証人瀬野錦蔵の証言、当審における検証の結果によれば、元湯温泉の温泉は湧出槽から水路により分箱に至り、そこから四本の水路により浴槽に導かれているのであるが、湧出槽から分箱への水路の巾を現状の四倍の広さにすれば、毎分約三リツトルの湧出量の増加となり、更にその水路を深くすることにより、湧出量を毎分五ないし六リツトル位増加させることが可能であることが認められるから、元湯温泉はその施設を僅に改善することにより、湧出量を毎分五、六リツトル増加させ、これにより震湯温泉の動力装置の影響を大半防ぐことができるわけであり、前記の如く、動力装置の元湯温泉湧出量に及ぼす影響が漸次減少しつつあることを併せ考えると、これによつてその減少量を殆ど補うことも可能であろう。
一方、前顕乙第三九号証、原審証人岸本信英、瀬野錦蔵の各証言によれば、震湯温泉における二馬力の動力揚水によつて、同温泉および元湯温泉が共通にする泉源の涸渇を来たす事態の予想されないことは明らかであり、前顕甲第二三号証、乙第二号証、原審証人石田恒稔の証言(第一回)によつて真正に成立したと認める乙第一三号証の一、二、原審証人石田恒稔の証言(第一回)によれば、震湯温泉の湧出量は昭和二九年一一月一一日当時毎分四七リツトル位であつたのが、二馬力の動力揚水により、その湧出量は毎分一〇五リツトル位に増加していることが認められるから、元湯温泉の湧出量の減少高を考慮しても、右泉源から流出する温泉の総量は、右動力揚水により著るしく増加したものといわなければならない。そして成立に争のない甲第二一号証の三、原審および当審における検証の結果(原審は第一、二回)と弁論の全趣旨によると、動力揚水による温泉の一部は、昭和三〇年二月新設された藤の湯浴場に送られ、同浴場の四個の浴槽に導入されているものであることが認められ、前顕乙第二三号証によれば、温泉津町における既設温泉井たる元湯、震湯、小浜各温泉と藤の湯浴場の入浴者数の合計は、昭和二七年度(昭和二七年四月より翌二八年三月まで)五七、七八三人、昭和二八年度六七、三四一人、昭和二九年度七四、八九〇人、昭和三〇年度一〇三、二四八人、昭和三一年度一〇三、九六五人、昭和三二年度九四、一五一人であることが窺われ、入浴者数は全体として、藤の湯浴場が開設した昭和三〇年度から飛躍的に増加していることが明らかであつて、震湯温泉における動力揚水による湧出量の増加が、一般に便益を与えているものということができる。
温泉法第四条第八条の規定するところによれば、知事は温泉源を保護し、その利用の適正化を図るという公益的見地から特に必要があると認める場合の外は、動力装置の許可を拒み得ないのであり、しかもかかる見地から許可を拒む必要があるか否かの判断は、主として、専門技術的な判断を基礎とする行政庁の裁量により決定されるべきことがらであつて、これを違法視し得るのは、その判断が行政庁に任された裁量権の限界を超える場合に限るものと解すべきである。前記の如く、内藤の震湯温泉における二馬力の動力装置が、被控訴人の元湯温泉の湧出量を減少させるものであることは明らかであるけれども、元湯温泉の施設を僅に改善することにより、その減少の殆どを補うことが可能であつて、その温泉井の利用、経営に著るしい支障を来たすものではなく、反面震湯温泉における動力装置による湧出量の増加によつて受ける一般の便益が大きいことを考えると、内藤に対し二馬力の動力装置を拒むべきでないとした控訴人の判断は、裁量権の限界を超える違法なものとは断じがたく、いわんやその違法が明白であるとは到底なしがたい。したがつて本件許可処分が温泉法第四条第八条に違反し無効であるとする被控訴人の主張は、採用できない。
してみると、本件許可処分の無効確認を求める被控訴人の第一次の請求は、失当としてこれを棄却すべきである。
五、次に本件許可処分の取消の訴について判断する。
まず訴願前置の点について考えるに、控訴人は本訴は訴願の裁決を経ていないから不適法であると主張するところ、被控訴人は右主張は時機に遅れた抗弁であるから許されないというが、本訴提起につき訴願前置の要件を充足しているか否かは職権をもつて調査すべき事項であつて、控訴人の主張の有無にかかわるものではないから、その主張が時機に遅れたか否かを問題にする必要はない。したがつて、被控訴人の右主張は採用しない。
ところで訴願法第一条第一項第四号は水利に関する事件については訴願を提起し得るものと定めているところ、温泉は地下水の一種であつて、温泉の湧出量を増加させるための動力装置についての許可処分は、地下水の利用に関する事項であるから、本件許可処分は右水利に関する事件に当るものといわなければならない。したがつて被控訴人は本件許可処分取消の訴を提起するには、訴願の裁決を経なければならないわけであるが、被控訴人がその訴願を提起していないことは弁論の全趣旨により明らかである。
被控訴人は訴願の裁決を経ることにより、著るしい損害を生ずるおそれがあつたから、本訴提起については訴願の裁決を経ることを要しないものであると主張する。しかし行政処分の取消を求めるため訴願を提起した場合においては、その提起があつた日から三ケ月を経過すれば、裁決の有無にかかわらず、訴を提起し得るのであるから、その三ケ月の猶予をも許さないほどの著るしい損害を生ずるおそれのある場合でなければ、訴願手続を省略する事由とはならないというべきであつて、本件動力装置により被控訴人の温泉湧出量が減少し、その経営する浴場の入浴者数が減少したことは前叙のとおりであるけれども、訴願手続の省略を是認せしめるほどの著るしい損害を生ずるおそれがあつたものとは認めがたい。
されば本件許可処分取消の訴は訴願前置の要件を欠く不適法なものとして却下を免れない。
六、最後に本件許可処分の取消処分を求める訴について考えるに、被控訴人は控訴人に対し温泉法第八条第二項第六条による本件動力装置の許可処分の取消処分をすることを命ずる判決を求めるというのであるが、裁判所が行政庁に対しかかる処分をなすべきことを命ずる裁判をなし得ないことは明らかである。したがつて本件訴もまた不適法として却下すべきである。
七、よつて、以上と異る原判決は取消を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 高橋英明 高橋文恵 石川恭)